ヌッジャッ!
前回に引き続き、「ジャズを聴く仲間は増えて欲しいけれど、お楽しみ会の集まりにはしたくない」という我儘なテーマについて書いていこうと思う。
ここで、一つあることを伝えねばと思う。「ジャズを演奏する」ことと「ジャズを聴く」ことはまた別だということだ。だから、僕は個人的に「ジャズを演奏する」ことはみんなで楽しんでやるべきだと思う。一人くよくよしては始まらない。しかし、ジャズを聴く行為は、時には孤独な一面も必要なのではないかと思っている。
さて、僕の周りにも何人か「ジャズ」に興味を持ってくれる人がいるようである。ジョンコルトレーンを受験期に聴いて、その音楽を聴くと懐かしい感じがする、といった子や、ビルエヴァンスのダニーボーイの演奏が好きでたまに夜聴いている、といった人だ。
しかし彼らにはジャズに深くのめり込み、ジャズから何かを学ぼうとする感じが見られない。結局彼らにとってジャズは好きな曲のうちの一つであり、それが自分の一部になるということは想定の外なのだ。
しかし、ジャズを完全に自分の内側へ取り込んで、深く耳を傾けているという友人も一人いる。彼はジャズ以外の音楽にも真剣だから、きっと「音楽から何かを学ぶ」という構造は彼にはあたりまえなのだろう。
ジャズにはまっていく人というのは共通していることがあると思う。
「知らないことに興味を持ち、深く掘り下げていく才能のある」人が沼にはまり込んでいるのだ。
ここでは「深く掘り下げていく」なんて書いたが、実際にはそんなに難しいことではない。ジャズの場合、演奏に参加しているメンバーの中で好きな人を一人見つければいいのだ。
そしてその人の名前をネットで検索し、別のアルバムで演奏していたり、別のメンバーと組んでいたり、そういった情報を集める。そして集めたアルバムの中から好きな曲を探せばいいのだ。
最近は便利なようで、音楽配信サイトで「オススメ欄」とやらに好みにあった音楽が表示されるらしいので、昔よりも知らない演奏に出会える確率は高くなっているのだろう。
ジャズという音楽は、何人かのアーティストの演奏を聴いて、それぞれが影響しあっていることに気づき、ちょっと裏話なんかを調べて、だんだん面白さがわかってくるようなものである。
1日で好きになることは無理だ。何日も、何週間もかけて「面白さ」がわかる音楽である。そしてその魅力がわかった時、完全に虜になってしまうだろう。そうなった人をたくさん見ている。僕もその一人。
よくないのは、それでジャズは全部知ってしまったと思うことだ。たとえば、ビルエ・ヴァンスやマイルス・デイヴィスの音楽は有名だしわかりやすい。彼らの音楽が好きになる人も多いだろう。
でも、彼らの他にも素晴らしいジャズメンはたくさんいる。毎日が新しい発見だと思って、常に掘り進めることが必要だ。あっ、もちろん疲れたら立ち止まって昔聴いていた曲をじっくり見つめる時間も必要だけれど。
僕はビル・エヴァンスもマイルス・デイヴィスも好きだから何枚かレコードで持っているけれど、もちろんもっと好きなプレーヤーだってたくさんいる。順列をつけて評価するのは嫌いだけれど、僕にとってエヴァンスやマイルスが一番でないことは確かなんだ。
僕は50年以上前の古いジャズばかり聴いている。
古いジャズのいいところは、プレーヤーはもう死んでしまっているからだ。
ジャズは、みんなが結構好き勝手やった音楽である。特に厳しい決まりもないし、誰かが新しいことを始めると確かに批判はあったけれど、ほとんどの批判はやがて称賛になっていった。
僕は今、半世紀経ったこの今、その音楽を聴き返している。つまり、僕は昔の演奏の中から「選んで」聴いている。僕ら聞き手が勝手に選んで聴いているだけ、結局はそういうことなわけだ。
そして僕は、古いジャズのそんなところに魅力を見出している。
※ちなみに僕はジャズが古臭いとは少しも思いません。半世紀経っても全く色褪せない。そこがまたいい。
ばいばい