catenary’s blog

かなり危険な位置に立ってジャズを聴く人。常識から外れた目線でジャズについて書いてるので、話半分に。

好きだから、聴いているのか?

 

 ジャズははっきりいって難しい音楽である。好きになろうと思ってすぐに好きになれるものではない。「いいなぁ」と思えるまでに長い時間がかかる音楽である。

 

 ジャズを好きになるのに手っ取り早い方法は、ジャズ好きの人を好きになることだ。

 

 僕なんてジャズなんてほとんど聴き始めたばかりのダメチンだからあてにならないが、世の中には素晴らしいジャズ好きがたくさんいる。モンキーパンチさんや、村上春樹さんや、タモリさんや…

 

 もちろん他にもたくさんいるだろうけど、この三人は僕が尊敬している人たちである。なんというか、考えに筋が通っていて飾り気がないのだ(村上春樹はちょっとキザな感じがするけど、僕くらいの年齢にはそれがちょっとウケる)

 

 例えば村上春樹の小説にはたくさんのジャズ音楽が登場する。村上春樹が好きな人がジャズを好きになろうと努力し始めると、徐々に彼の小説に登場する音楽がわかるようになってくる。これはとても楽しいことだ。

 

 ルパン三世が好きな人が、ジャズを聴き始める。そうすると、ルパンの世界観はもっと魅力的に思えてくる。あの大人びてダークな世界はなんとなくジャズの雰囲気にマッチしている。

 

 タモリは・・・ちょっと難しいけれど、彼がジャズについて話す番組がいくつかYoutubeに転載されている。興味のある人はそれを見てみるのも楽しいかもしれない。ジャズを聴き始めた頃の僕はジャズを知りたがって何度もその動画を見たものだ。

 しかし、タモリの話の本当の面白さがわかるようになったのはずいぶん最近になってからである。やっぱり元ネタがしっかりわかってないと番組内の会話についていけないところはある。

 

 芸術の授業で面白い話を聞いた。

 「好き」だから「する」のではなく、「する」うちに「好き」になる。

 ということである。

 

 好きだからするのは当たり前である。ゲームが好きだ。だからゲームをする。僕の弟はまさにこの状態。

 ただし、「好き」→「する」の構造には限界があることに気づくだろう。「飽きる」と、「好き」ではなくなり、「しなくなる」のだ。

 

 「する」→「好き」の構造には限界がない。好きじゃないけれど毎日続ける。そのうちに徐々に良さがわかってきて、「好き」になれるのだ。そこに「飽き」は存在しない。「する」→「好き」の世界は、文字通り、一歩進むごとに発見があるのだ。

 

 僕の祖父は、夕方リビングで古い映画をよく見ていた。彼はまたずいぶんなジャズマニアだったから、僕とよくジャズの話をした。ある日、僕が「好きな曲だから毎日聴いてるんだ」と話すと、「違う。聴いているうちに、どんどん好きになれるんだ」と呟いた。その時はふうんと聴き流したが、今になって祖父は本質を見抜いていたのだと少しゾッとした。

 

 「する」から「好き」になる理論には難しい部分がある。それは常に「する」を続けなければならないことだ。いくら好きになれるとはいえ、一人で続けるのはやはりしんどい。僕は尊敬できる人を身近に感じるためにジャズを聴くという「する」を続けた。やはりそういった動機のようなものが必要になってくるのだろう。

 

 

 ジャズを聴いている人には、魅力的な人が多いように思える。僕にとって、やはりジャズ喫茶のマスターや、親戚のレコードコレクターのおじさんや、近所のジャズ好きのおじさんは、僕にとってとても魅力のある人に思える。

 

 彼らは、僕というジャズなんてよくわかっていない若造を笑顔で迎えてくれたのだ。

 

 僕は一人は寂しいと最初に書いたが、少なくとも僕は一人ではないかもしれない。僕はジャズを通してたくさんの人と知り合うことができた。これは非常に嬉しいことである。

 

 もしもこの先、僕のようにジャズを通じて新しい出会いを経験する誰かがいるとするならば、それはとても幸福なことだ。

 

 

 それでは。